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横浜地方裁判所 昭和32年(ワ)180号 判決

理由

証拠を総合すれば、本件取引がなされた経過は次のとおりであることが認められる。すなわち、訴外不二交易株式会社社長と自称する蔵之内岩雄は昭和三十年三月七日頃原告株式会社明治屋横浜本店において同店卸部担当部長田中徳重に対し、自分は被告神奈川県経済農業協同組合連合会に出入りする商人であるが、原告から被告連合会に「味の素」百瓦缶入五千缶、同五十瓦缶入五千缶を納入してくれと申し込んだ。田中徳重は蔵之内とはこれまで一面識もなかつたので、同人に仲介手数料を支払つて直接原告から被告連合会に対し「味の素」を販売しようと考え、同人と折衝の上、販売代金百瓦缶入五千缶につき、単価同人に支払うべき手数料金三円を加え金二百四十円、合計金百二十万円、五十瓦缶入五千缶につき、単価同じく手数料金二円を加え金百三十円合計金六十五万円、以上合計代金百八十五万円受渡場所被告連合会横浜倉庫、代金支払方法検収後三十日現金支払などの取引条件を取り極めたこと、なお、田中徳重は蔵之内に対し被告連合会発行の注文書を要求したところ、同人は翌八日頃被告連合会発行名義の発注書を持参し田中徳重に呈示したが、右発注書は訴外不二交易株式会社宛に発行されていたので、田中は原告宛に書替えるよう要求したところ、蔵之内はこれを承諾し、一旦右発注書を持ち帰つたが、約一時間後に再び原告会社横浜本店に現われ、被告連合会の方では発注書の書替は手続が面倒であるのでこのまま受け取つてくれとのことであつたと報告した。そこで、田中は蔵之内に対し販売代金は蔵之内と一緒に自分が被告連合会に出頭して受け取ることを要求したところ、蔵之内はこれを承諾しその旨の念証を差し入れた。又田中は発注の事実を確かめるため同月十一日蔵之内と共に被告連合会の総務部事務室に出頭し、同人の紹介で前記発注書に取引担当者として捺印している総務部整理課長北井品三に面接したところ、同課長は整理課は物資を仕入れて傘下の単位農協に配給する仕事をするところで、単位農協に特別配給をするためこのたび「味の素」を注文したと称し、蔵之内と取り極めた前記取引条件を確認したので、田中は北井課長と受渡期日を同月十四日と定めた。そこで原告は受渡期日たる同月十四日被告連合会横浜倉庫で同倉庫の担当責任者籾山栄立会のもとに取引物件全部の引渡をし、北井課長は原告作成の受領書用紙に被告連合会の印章及び自己の印章を押捺し、籾山栄も又これに自己の印章を押捺した。

以上のとおり認められるところ、右認定の事実に徴すれば、被告連合会総務部整理課長北井品三は被告連合会を代理して原告と本件取引をしたものということができる。

よつて、被告連合会の北井課長が被告連合会のため「味の素」を購入する代理権限を有していたか否かについて検討するのに、証拠によれば、北井課長の職務権限は「(1)不良債権の回収、保全並びに補助簿の整理、(2)訴訟及び調停、(3)不良債権回収整理に関する証憑書類の整理及び保存」に限られており、又他の証拠によると、北井課長は本件売買契約当時被告連合会がその会員たる訴外吉野農業協同組合より同組合の訴外臼井昭夫等に対する不良債権整理の委任を受けていたので、当時直属の上司であつた総務部長加藤一郎の指示により同組合の右不良債権の整理を担当していたことが認められる。しかし、北井課長が被告連合会のため職制上或いは慣例上物資購入の代理権限を有していたことは本件に現われた全証拠を検討してもこれを確認することができない。却つて、証拠によると、北井課長、蔵之内岩雄等は共謀の上被告連合会より恰かも物資の発注があつたかの如く見せかけてこれを他に転売し、その売上金の一部を訴外臼井昭夫等の負担する前記吉野農業協同組合に対する債務の弁済に充てることによつて同組合の不良債権の早急の整理をなそうと企図し、原告から本件取引名義のもとに前記「味の素」を詐取したもので、前記被告連合会名義の発注書は北井課長が被告連合会の用紙を利用し、被告連合会の印章を盗用して作成したものであり、又北井課長は原告作成の受領書用紙に権限なくして被告連合会の印章を押捺し、籾山倉庫係員は情を知らないでこれに捺印したものであることが認められる。

原告は、仮りに被告連合会の北井課長が被告連合会のため前記「味の素」を購入する代理権限を有しないとしても、本件取引は北井課長の権限超越の行為であつて、原告会社は同課長に権限ありと信ずべき正当の事由があると主張するのでこの点について判断する。北井課長の職務権限が「(1)不良債権の回収、保全並びに補助簿の整理、(2)訴訟及び調停、(3)不良債権回収整理に関する証憑書類の整理及び保存」であることはさきに説明したところである。しかして証拠によれば、北井課長は昭和二十八年四月頃から被告連合会の固定債権約三千万円の回収整理に当り、昭和三十年七月現在で固定債権を僅か五百万円位に減少せしめ、大いに実績を挙げたことが認められる。ところで、不良債権の回収整理の事務に従事する者は債権の一部減免、分割払、人的及び物的担保の提供などに関し債務者その他の者と種々折衝し、場合によつては弁済の受領、請求書又は領収書の発行をする必要のあることは通常の事例として客易に首肯され得るところであるから、特段の事由のない限り、北井課長は被告連合会の不良債権の回収整理をなすにつき必要な或る範囲の代理権を有していたものと推認するのを相当とする。次に、本件売買契約成立のいきさつは既に説明したとおりであるが、更に、他の証拠によれば、本件取引の行なわれた被告連合会の総務部事務室は総務部長を始め総務部所属の総務課、経理課及び整理課の各課長及び課員など総務部の職員約二十名が一緒に執務するところであるのみならず、右事務室は非常に狭いため職員が机をくつつけて並べており、本件売買契約が行なわれた際にも若干の職員が執務しており、原告会社の田中卸部長と北井課長との商談の内客も他の職員において客易に聴き取ることができる状態にあつたこと、北井課長の発行した被告連合会名義の発注書には被告連合会の正規の印章(角印)が押捺されていることを認めることができる。

してみると、上来説示の事実関係のもとにおいては、原告会社は北井課長に被告連合会のため本件取引をする代理権限を有していたものと信ずべき正当の理由を有していたものと解するのを相当とする。もつとも、証拠によれば、被告連合会が正規の手続により発注書を発行するには「信連」の認証を受けることを必要とするたてまえとなつているのに前示発注書には「信連」の認証印がないことが窺われるが、被告連合会とこれまで一回の取引をしたことのない原告会社の係員が、前示発注書が正規の発注書でないことに気付かなかつたからといつて、前叙認定の事実関係のもとでは、原告会社係員の過失とすることはできない。さらに被告は、原告が北井課長の言だけを信じて本件取引をしたことは明らかに原告の過失であり、同課長に代理権限ありと信ずべき正当の理由は存在しないと主張する。なるほど、被告連合会の職制上北井課長に物資購入の権限のないことは既に説明したとおりであり、又、証拠によると、「味の素」は当時も現在も被告連合会において購入物資としてこれを取り扱つていないこと、被告連合会整理課の機構、執務状況が事務室が広いとの点を除き被告主張のとおりであること、及び北井課長には被告主張のような上司がいたことが認められ、殊に本件取引が味の素という一般農民向でない物資の、しかも多額の取引であることは被告主張のとおりであるが、前叙認定の事実関係から判断すれば、原告が被告連合会の職制を調査しなかつたことは取引の通念に反するともいい難いのみならず、原告会社の田中部長が被告主張のように北井課長の上司又は購買の部、係につき本件取引発注の事実の有無を確かめないで、同課長の言だけを信じ同課長に本件取引をする代理権限があると判断したことは無理からぬところであり、未だもつて原告の過失とは認め難い。よつて被告の主張は採用することができない。

しかして、民法第百十条所定の代理人の権限外の行為と権限に属する事項とはその性質種類において同一であることを要しないと解すべきであるから、被告連合会は同条の規定に従い、北井課長のした本件取引につき原告に対しその責に任ずべきである。よつて、原告の請求は正当である。

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